桃田賢斗選手のプロフィールは?身長と特徴不調に陥った原因を徹底分析
12月30日全日本総合バドミントン選手権2022が開催され、男子シングルスにおいて桃田賢斗選手が優勝を飾りました。
桃田賢斗選手と言えばここ数年の不調が騒がれております。
今年はワールドツアー後半の参戦を取りやめ、今回の全日本総合バドミントン選手権にフォーカスし取り組み、見事に優勝を飾りました。
今回は桃田賢斗選手のプロフィール、身長と特徴、不調に陥った原因を徹底分析したいと思います。
桃田賢斗選手のプロフィール
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桃田 賢斗(ももた けんと)香川県三豊郡三野町(現:三豊市)出身。
1994年9月1日生まれ
名前の由来は父親が、世界で一番強い人になるようにと、アメリカのコミック『スーパーマン』の主人公クラーク・ケントからとってきて命名したと言われております。
バドミントンを始めたのは小学校1年生の時、そして6年生の時に全国小学生選手権シングルスで優勝しております。
桃田賢斗選手中学生時代の経歴
そして中学校入学の際に拠点を地元香川県から福島県に移り、富岡町立富岡第一中学校へ入学、3年生時の2009年、全国中学校バドミントン大会で優勝しております。
そしてこの年に中学生としては初の全日本バドミントン総合選手権に出場しております。
桃田賢斗選手高校生時代の経歴
高校は中学生生活と同じく福島県を拠点とし、福島県立富岡高等学校へ進学、2年生時の2011年の世界ジュニア選手権男子シングルスで準決勝まで進出、銅メダルを獲得。
同年の全日本総合選手権では実業団選手を破り、初めて準々決勝まで進出し、第一人者の田児賢一と初対戦して敗れております。
2012年、アジアユース選手権男子シングルス決勝では金メダルを獲得し、団体戦を含めて2冠を達成しました。
インターハイ男子シングルスで初優勝、世界ジュニア選手権では団体戦で銀メダル、個人戦男子シングルスでは決勝で日本勢で初めてジュニア世界一を獲得。
このあたりからオーストリアで開催された国際大会などで優勝し、世界ランキングは50位まで浮上しておりました。
実業団選手へ
2013年、高校を卒業し、NTT東日本に入社。同社のバドミントン部に入部、同年の全日本社会人バドミントン選手権大会に初出場して初優勝を達成しております。
その後の成績は割愛しますが、多くのワールドツアーの優勝、世界選手権2018年、2019年連覇、アジア選手権2018年、2019年の連覇と華々しい記録を樹立しておりました。
不慮の事故
2020年1月12日、マレーシアで開催された大会終了翌日、車で移動中、桃田選手らを乗せた車がトラックに衝突する事故が発生し、運転手が死亡してしまう事態に。
桃田自身も顎、唇、眉間の計3か所を裂傷、全身打撲の怪我を負い、クアラルンプールの病院に入院、命に別状はなく15日には日本へ帰国しております。
3月の全英オープンで復帰を目指しましたが直前に複視が発生、精密検査を行ったところ、右眼窩底骨折が判明。このため合宿を離脱して再度手術を行いました。
桃田賢斗選手の身長は?
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桃田賢斗選手の身長は、
175センチです。
バドミントンのシングルス、ダブルスの選手ではこのあたりの身長が一番多い気がします。
男子シングルスの(トップ)選手では
- 東京オリンピック金メダリストのビクターアクセルセンが194センチ
- マレーシアのリー・ジージャが186センチ
- 中国のシー・ユーチが180センチ
- インドネシアのジョナタン・クリスティが179センチ
と背の高い選手が台頭しておりますが、
- シンガポールのローケンユーが175センチ
- インドネシアのアンソニー・シニスカ・ギンティンは171センチ
と山口茜選手の身長もそうですがバドミントンでは背が高い選手が有利になるという事がないのが面白いところです。
ちなみ引退してしまった「レジェンド」と言われているタウフィック・ヒダヤットが175センチ、リー・チョンエイが174センチ、リンダンが178センチ。
2000年あたりから上記のレジェンドたちが活躍していた時期は175センチあたりの身長の選手が活躍していたような気がします。
不調に陥った原因は?
今日会見をする事ができました。
まずは応援してくださる皆さんにしっかり自分の言葉で伝えたかったので。
ここから一つずつ焦らず目標に向け進んでいきます。
これからも共に目標に向け応援よろしくお願いします。#感謝 #formomota pic.twitter.com/jyf6Em6eTA— 桃田賢斗 (@momota_kento) March 6, 2020
オリンピックイヤーである2021年序盤から不調が続き、オリンピックレースの大会でも勝てない状況に陥りはじめた桃田賢斗選手。
東京オリンピックも第1シードとして予選リーグAで第1戦では勝利したが、第2戦で韓国のホ・ グァンヒに敗れ、予選リーグで敗退してしまいました。
その後もワールドツアーで参戦場面では良い成績を収めておりません。
ここからは全く個人的な意見になりますが、不調の原因は様々な要因が積み重なっているものだと私は思います。
事故が原因?
2020年1月のマレーシアで発生した事故で、その後複視が発生、精密検査を行ったところ、右眼窩底骨折が判明し、手術を余儀なくされております。
複視で思い出すのがバイクMOTOGPでのトップライダー、マルクマルケス選手、彼も度重なる事故で複視が発生し、ライダーとしての復帰に時間がかかりました。
2022年は優勝こそなかったものの、後半で上位に入賞するまでに復帰、桃田選手とマルケスのケガを同類にするのは無理がありますが、時間をかければ復帰できることを証明しております。
体調管理?
2017年に一旦休業、2018年復帰後は大活躍し、好成績を収めておりましたが、私個人はその時に気になる事がありました。
それは「顔がやつれていた」こと、復帰後に練習、トレーニングに過剰に打ち込みすぎて身体を絞りすぎていた感があります。
成績は出ているのに表情が明るくなく、少し心配しておりました。その反動がオリンピックレース後半から出ていたのかもしれません。
フォームの改善が必要?
最近、バドミントン界隈で、(口伝えで)聞く話が「桃田選手フォームを改善した方がよいのでは?」との話をよく聞きます。
彼のフォームは美しいのですが、独特でもあり観ている限りではバドミントンや公式テニスで有効な回旋運動が少なくフラットで打つ傾向が見られます。
このあたりが仇になっているのかも、と思います。
そして他の国のライバル選手も桃田選手攻略を徹底的にしており、なかなか勝てない状況が続いているのだと分析します。
しかしフォームについてはかつてトップ選手であった、リンダン、リーチョンウェイも昔と引退直前ではかなり変化しており、進化は必須なのだと思います。
残念ながら日本は桃田選手をサポートしてくれるコーチ陣の層が薄い気もしており、桃田選手をバックアップするキーパーソンを準備する段階であると考えられます。
まとめ
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桃田賢斗選手のプロフィールは?身長と特徴不調に陥った原因を徹底分析
- 桃田賢斗選手のプロフィール
- 桃田賢斗選手の身長は?
- 不調に陥った原因は?
を徹底分析してみました。
今回の全日本総合バドミントン選手権優勝時に彼の喜ぶ姿を見てホッとしました。
インタビューでも自身で「桃田賢斗はここで終わりません」と宣言しており、復活を願うばかりです。
また彼の活躍する姿、コート内を躍動する姿を期待しております。
ご覧いただき、ありがとうございました。
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